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チャレンジクイズ

これから妊活を始める方、一人で悩んでいる方の力になれたらと、妊活の先輩たちの声を集めました。下記のボタンからカテゴリーごとの声をまとめて見ることができますので、ご活用ください。
協力機関:NPO法人Fine

  • 先輩の顔

    女性・30代

    不妊治療について

    若くてもダイジョウブじゃない

    夫と27歳で結婚して2年が過ぎたころ、近所の「婦人科」にかかりましたが不妊の原因は特定できませんでした。「あなたはまだ若いんだからダイジョウブ」と言われ1年間通院しましたが妊娠できず、不妊専門クリニックに転院しました。
    そこでも「あなたはまだ若いから」と言われましたが、今度は「ダイジョウブ」でなく、「まずは腹腔鏡検査をしてみませんか」と提案されました。
    そこで腹水が多いこと、小さな内膜症があったことが判明しましたが、それが不妊の原因かどうかはわかりませんでした。その後、人工授精にトライしましたが妊娠できず、高度生殖医療に進めば、もしかしたら何か不妊の原因もわかるかもしれないと思い、体外受精に挑戦。初めての採卵では2個の受精卵を凍結できました。移植1回目は陰性、移植2回目で陽性反応がありましたが、10週で繋留流産になりました。本当につらかった。
    夫は、私が何度同じ話をしても、何度同じことで泣いても、急かさず、一緒に悲しみを分かち合ってくれました。そのことが本当にありがたかったです。
    約6年の妊活・不妊治療を経て双子を出産しました。

  • 先輩の顔

    女性・40代

    不妊治療について

    ただ私の気持ちを聞いてほしかった(不育症経験者)

    26歳で結婚、タイミング法により29歳で第1子を出産しました。
    第2子を望むも約10年間で5回の流産(うち1回は双子)を経験し治療を終結。
    当時は不育症についての情報も少なく、医師との会話も常に受け身で自己決定ができないまま、妊娠と流産を繰り返していました。
    「妊娠することが怖い、でも諦めてしまったら子どもは望めない、次こそは」と期待をして不安と戦いながら日々過ごしていました。嬉しいはずの妊娠の兆候を感じても、今日流産してしまうのではないかという不安が常にあり憂鬱でした。
    そのうち、夫にさえ妊娠の報告をすることができなくなりました。
    何よりつらかったのは「二人目だからいいじゃない」「妊娠できるだけいいじゃない」「もっとつらい人はたくさんいるよ」という周りからの言葉でした。
    「私よりも大変な人がいるから自分は悲しんではいけない、前向きにがんばらなくては」と自分自身に言い聞かせるようになり、小さな命を繰り返し失う悲しみを、誰にも話せなくなっていました。
    悲しみやつらさは他人と比べられるものではありません。
    今なら気持ちをただ聞いてくれる相談の場で話してみればよかったのかなと思います。

  • 先輩の顔

    女性・30代

    親族・周りとのコミュニケーション

    親族や周囲の人とのコミュニケーション

    夫の親族は子どもが多く、結婚当初から私たち夫婦の子の誕生を楽しみにしてくれているのを感じましたが、「まだか?」「早く孫が見たい」などといった言葉を一切かけることなく、ずっと私たちを見守り続けてくれました。一方、私の両親は孫が楽しみなあまり、「いい歳なんだから」「早く孫を見せてくれ」とストレートに伝えてきました。また、友人の中には「仕事を忙しくしてばかりで無理しないように」と遠まわしに言葉をかけてくる人もいました。そういった声かけに対し、私は強くストレスを感じ、しかし相手にうまく想いを伝えられず、妊娠や子どもの話題を避けるようになりました。
    特に私の両親へは、「放っておいて。いろいろあるんだから。その時がきたら報告する」と伝え、そっとしてもらうようにお願いしました。                 
    他人からの些細な言葉で傷ついたり、怒りがこみ上げてしまったり、自分自身を責めてしまう人もいると思います。
    素直に自分自身の気持ちを伝えるのもアリですし、ご自身が安心安全だと思える空間で過ごすことを選ぶのもアリです。自分らしく心地よく過ごすということが大切だと思いました。
    妊活・治療開始から4年、子どもを出産できた時には、それぞれの両親や友人は自分のことのように心から喜んでくれ、とても嬉しかったです。
    もし誰かが私と同じ状況にあったら、私はそっと見守りたいと思っています。

  • 先輩の顔

    男性・30代

    親族・周りとのコミュニケーション

    不妊治療のカミングアウトで周囲の変化も

    結婚して3年後に不妊治療を経て子どもを授かりました。妊娠に至るまでは決して平坦な道のりではなく苦難の連続でした。結婚した当初から、周囲から「子どもはどうするの?」という問いかけが日常的にあり、私たち夫婦も「そうだね、子どもは近いうちにほしいね。でも授かりものだから」と返していたのを覚えています。しかし時間の経過とともに、愛想よく答えつつも、内心ではとても焦るようになり、不妊治療を始めることにしました。
    不妊治療をしていることを周囲に言うべきか悩みましたが、相手も悪気があって言っているわけではないので、お互いの関係性のためにも勇気を出して、不妊治療のことを徐々に周囲へ話していきました。
    最初は相手の反応が気になったのですが、意外にも親身に寄り添ってくれて、私たちへの理解も示してくれました。
    私にとっては非常に拍子抜けする反応でしたが、後から振り返ってみると、「周囲に不妊治療のことを言っても同情されてみじめな思いをするだけだ」という私の中の偏見が自らストレスを作っていたのだとわかりました。
    もう少し早く私たちの状況を打ち明けていれば、周囲の私たちへの接し方も変わっていたと思います。今では不妊治療をしていたことをオープンに話しています。

  • 先輩の顔

    女性・40代

    仕事との両立

    職場の理解を得ながら上司とともに働き方を考え、両立を可能に

    不妊治療については、開始した段階から上司や同僚に伝えていました。
    体外受精を検討の際、病院から突発的で頻繁な通院が必要と説明があり、上司に相談したところ、「業務のことは何とかするから、やってみたらいいよ」と背中を押してくれました。
    私が以前から子どもを望んでいることを伝えていたこともありますが、本当にうれしかったですし、心強かったです。
    自分でも仕事を前倒しで進めるなど工夫をしましたが、上司と私が不在になった時のフォロー体制など、なるべく業務に支障が出ない働き方を一緒に検討しました。
    自分にしかできない業務がある時は治療を諦める周期もありましたが、フレックスタイム制や在宅勤務などの利用により、採卵や胚移植以外の治療は、休まず通院が可能でした。
    また、仕事と治療の両立においては、周囲とのコミュニケーションを大事にしました。
    同僚も治療に理解があり、こちらから話さないかぎりは深くは聞かずにいてくれました。
    結局子どもを授かることはできませんでしたが、仕事のために体外受精をあきらめて後悔することにならなかったことを、本当にありがたく思っています。

  • 先輩の顔

    女性・40代

    仕事との両立

    配置転換で通院時間を確保し、負担を軽減

    私は顕微授精で妊娠、40歳で子どもを授かることができました。
    不妊治療を始めた当初は内勤業務だったため、昼休憩以外の外出はむずかしい環境でした。
    異動をしたばかりで、不妊治療をしていることを会社に内緒にしていたので、体調不良と嘘をついて朝病院に行ったり、仕事終わりで受付終了間際の病院に駆け込んだり・・・・・・。
    そうやってがんばって人工授精を繰り返しても良い結果が出ず、ストレスがたまる一方でした。そこで私は、通院時間に融通が利きやすい外勤営業に異動希望を出しました。
    治療開始から約3年がたったことと、体外受精へのステップアップをすすめられていたこともあり、通院しやすい環境を作りたかったからです。
    希望がかなって外勤営業になったのを機に体外受精に挑戦しました。
    外勤営業は、常に営業成績を問われる大変さがありましたが、外回りの中で通院時間をやりくりすることができるようになり、通院の負担は大きく減りました。
    また、勇気を出して上司に治療のことを話したところ、必要以上に詮索されることもなく、急な遅刻や欠勤に理解を示してもらえたのも助かりました。

  • 先輩の顔

    男性・40代

    仕事との両立

    妻と一緒に仕事と治療の両立できるクリニック選び

    人工授精や体外受精、顕微授精の時には、妻と一緒に朝一番に病院に行き採精し、クリニックから直接出社しました。
    フレックス勤務の制度がなかったので、少し遅れるという事前の連絡を入れたり、就業開始時間が少し遅めだったのでギリギリ間に合うことも多かったです。
    業務も多忙だったので、極力休暇を取らない方向で調整しました。
    例えば、仕事が休みの土日に検査や採卵をしてくださるクリニックはありがたい存在でした。
    精液検査などは仕事が終わってから夜に実施してもらいました。
    男性不妊専門の泌尿器科にも通いましたが、土曜日受診可能なクリニックを妻が探してくれたので休暇取得の必要はありませんでした。
    会社には不妊治療をしていることを公言しておらず、その点でも土日や夜間に診療してくれるクリニックがあり、助かりました。また、クリニックから会社までの移動時間も考慮しながら二人でクリニック選びをし、6年目に妻が妊娠、出産に至りました。
    休みが取れなかったり仕事が多忙だったりしても通いやすいクリニックを話し合いながら一緒に選んでいくプロセスがとても大切だと感じました。

  • 先輩の顔

    男性・40代

    仕事との両立

    戦略的に進めた男性不妊の治療と仕事の両立

    私は、男性不妊の治療を行なっていることを周りに伝える機会や勇気がなく、職場には伏せていました。
    そのため、男性不妊の治療は、仕事に穴をあけにくい土日に受診できる医院を選びました。
    その医院は、女性の不妊治療の医院に併設されていたため、泌尿器科とはいえ男性が訪れても違和感がなく、好奇の目にさらされることもなく通院できました(泌尿器科に比較的若年の男性が通院するのは、性病治療のイメージもあり抵抗がありました)。
    また、妻側にも、採卵などタイミングをある程度コントロール可能な治療は、土日になるように調整してもらいました。
    急な妻側の治療があった場合は、平日でも職場の裁量労働制の仕組みや有給休暇を活用しました。
    土日は治療中心になりますが、その方が確実に治療ができ、子どもを授かるという同じ目標に夫婦一緒に向かっているとお互いに実感しながら治療できていたと思います。当初は顕微授精などの高度不妊治療でなければ無理だと言われていましたが、男性不妊の原因である精索静脈瘤の治療を始めてから4年半かかったものの、最終的には自然妊娠で子どもを授かることができました。

  • 先輩の顔

    女性・40代

    その他の選択

    妊活を経て~ 気持ちのままに

    結婚後すぐに子どもを望んだ私と、まだ先で良いと考える夫。
    温度差がある中で私たち夫婦の妊活はスタートしました。タイミング法から顕微授精まで、2度の流産、不育症と向き合いながら治療を続けましたが、出産には至らず、私の心と体は限界を迎えていました。その頃には強く子どもを望むようになっていた夫とは、妊活のやめ時について折り合いをつけるのが本当に難しく、平行線のまま苦しい時期を経て「でも、もう無理だ…」となかば押し切る形で約10年間の治療を終了しました。その後、同じ境遇で悩む人をサポートする側に回ろうと、不妊ピア・カウンセラーとして活動を始めました。
    子どもは授かりませんでしたが、妊活を経てたどり着いたカウンセラーの活動が、今の私にとってはかけがえのないものとなっています。
    治療をやめる決断が正解だったのか、これからも心が揺れ動いたり、後悔したりもするかもしれません。ですが、今では私の活動を理解し見守ってくれている夫と、今後の人生を寄り添いながら歩み、少しずつ私たちなりの答えを見つけていければと思っています。

  • 先輩の顔

    女性・40代

    その他の選択

    不妊の自分をそのまま受け入れる

    結婚して子育てをスタートすることが当然と思っていました。
    不妊を自覚してから、「普通」に訪れるはずの未来が、もしかすると自分にはないかもしれないという不安で押しつぶされそうでした。
    ある時、親と暮らせない子どもがたくさんいて、その子どもたちの置かれている困難な状況や孤独を知りました。自分がその子たちの親になって支えたいと思う気持ちはあっても、次の治療で自分の子どもを妊娠するかもしれない・・・。そんな期待を打ち消して養子縁組に進む決断は難しかったです。
    でも、なかなか妊娠できず、何度も心が折れていたのも事実でした。
    妊娠をあきらめて養子を迎えるのではなく、不妊の自分をそのまま受け入れることがとても大事なことだったと、養子を迎えた今、振り返っています。
    通りすがりの人から見ると、どこにでもいる平凡な家族です。日々の生活で血縁の有無による悩みを感じたことはありません。
    小さな命を私たちに託してくれて感謝の気持ちでいっぱいです。
    これから先、養子特有の課題に、悩む日もあるかもしれませんが、子どもと一緒に考えることができることも幸せだと思っています。